MドリームのBlog

SM願望の方のための情報ブログ:SMの話題、イベント、プレイ、パートナー、グッズ、小説、ゲームお便り等をご紹介

【性的欲望の変遷2】

性的欲望の変遷1では、スワップ(夫婦交換)について取り上げた。
 だが、性的欲望の変遷というテーマは、SM以上に広く、奥深い。
 
日曜は主人のいいなり変態短編小説集「日曜は主人のいいなり」に収録)
 この話のヒントは、昭和35、6年頃の体験を、ある人からまた聞きしたものだ。
 ある商店を経営している夫婦がいるのだが、その妻が浮気をしてしまうのである。
 どこにでもありそうな話だが、妻の相手は常時決まっておらず、それも店を開いている時の暇な午後にふといなくなってしまうのだそうである。
 では、夫はそのことを知っていないかといえば充分なくらい承知しており、また、その夫が勃起不能かと言えばそれも違うのである。
 そして、店の休みの日となると、二人は鍵をかけて家の中へ閉じこもり、終日SEXに明け暮れるというのだ。
 
乱蛾ロリ・近親相姦・変態短編小説集「イースト・オダリスク」に収録)
 かつて「フリーセックス」という言葉が海外から入ってきて、一時期かなり雑誌等を賑わせたことがある。
 だが、実践的に行っているというのは、2000年に入ってから聞いたのである。
 ドミノマスクをした、既婚者も独身者も年齢層も混在している、全裸の男女が集まり、それも乱交的ではなく、決められたルールの中でSEXを行うというのが小説のヒントとなった。

同檻の雄雌ロリ・アナル・浣腸短編小説集「ロリロイド・ラミ」に収録)
 こちらの小説の元になったのは大正時代というからずっと以前のことである。
 家庭における当時の女性の立場は、今に比べればかなり弱いものであったことだろう。
 だが、妻妾同居どころか、さらにそこへ第三の女性が加わる等、いくら立場の弱い女性でも我慢できたのだろうか。
 
 これらの元は、正式の資料がある訳ではないので、本当にあった話なのかはよくわからない。
 だが”世に盗人の種はつきまじならぬ”世に性的欲望の種はつきまじなのである。

【SMでオナニーって・・・】

 SMには文字通り必ず、SとMの存在があるのだから、一人で行うオナニーが存在するはずがないと思われるかもしれない。
 だが、
  ・Sにとってパートナーが見つからない場合や願望のプレイが叶えられない場合
  ・実際のプレイの不安を抑えられないMの場合
 
等むしろかなり多く存在するのではないだろうか。
 
 私のSMオナニー構想は、
 「腸内洗浄」 
が話題になった時のことである。
 
 当時のあるパートナー女性が告白したのだが、私から浣腸プレイの洗礼を受けて以来、「腸内洗浄」が気になりだし、実際に始めたというのだ。
 しかも当初は、身体の解毒(デトックス)効果をねらったらしいのだが、次第に洗浄されること自体に快感を見出したという。  
 「洗浄オナニー」(半透明な管を流れてきた液体は、その管の先が入っている肉穴の中へ吸い込まれるように入っていった・・・、SMアナル浣腸小説集「SMのご用は台所で」に収録)

 また、SM情報サイトMドリームへの相談というか、告白というか、匿名の女性からのメールによれば、
「*伊藤晴雨の画集を見て以来、もう、自分が抑えられないのです。でも、(貴方を含めて)実際に男性にあってして欲しいなどとは言えません・・・」のだそうだ。
 私としては、
「どうしても実際のプレイへの勇気が出せないと言うなら、メール調教はいかがですか」
と答え、それからメールでのやりとりが始まった。
自虐SM」(SM・W&M小説集「 自虐SM)は、そんな彼女の体験談を元に書き上げた。
(それは長襦袢が捲れ、肌も露な女性が無残に縛り上げられた図だった。思わず麗子はそれを閉じると本棚に戻そうとしたが、まるで自分の意思とは無関係に、その雑誌を手にしてしまっていた・・・)

 *伊藤晴雨(いとう せいう) 
 1882年(明治15年)3月3日 - 1961年(昭和36年)1月28日
 画家。本名は伊藤一。
 出身は東京市浅草区。幼い頃から絵が得意であったため8歳で琳派の絵師に弟子入りする。
 9歳の段階で芝居の折檻シーンや女の髪の臭いに執着する性癖が発現している。
 父が彫金師だったために12歳で象牙彫刻師のもとへ丁稚奉公する。
 23歳で絵描きになるべく彫刻師修行を辞め京都へ移り、様々な職業を転々とするが身体を壊し東京に戻る。
 25歳から新聞社に勤め挿絵や評論を書く。
 27歳で包茎手術を行ない一度目の結婚をする。
 包茎だったため28歳まで童貞だったが本物の女を知って落胆するなど、性に対する憧れが先行するタイプだった。
 この頃挿絵画家としての地位が固まり、多くの執筆依頼が寄せられるも収入のほとんどは遊びに費やしていた。
 34歳でお葉をモデルに責め絵を描く。
 37歳で最初の妻と離婚、二人目の妻をめとる。この女性は晴雨の責め絵のモデルにもなっており、妊娠中に吊り責めを受けるなどしていた。
 だが、13歳若いこの女性は後に浮気をして晴雨のもとを去る。
 その後関東大震災により財産を失った晴雨は精力的に江戸の風俗を書き記し、『いろは引・江戸と東京風俗野史』を著した。
 また責めも興味の赴くままに行なうのではなく、様々な考証のもと行なうようになっている。
 1928年(昭和3年)に発行した『責の研究』は発禁処分となったが、当時の名著とされる。
 晴雨が49歳の頃に三人目の妻が精神を病み闘病、借金に追われるようになる。
 1945年(昭和20年)の東京大空襲で家財一切を焼失、戦後はほとんど出版活動は行なわなくなった。
 1960年(昭和35年)、挿絵画家としての長年の功績に対し出版美術連盟賞を受賞、翌年に死去している。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 目の前に実際のパートナーがいなくてもメール調教であれば擬似プレイができ、結果としてSMでもオナニーができるという見本である。

【夫婦ともMから】

 以前からM女のことを書くのは好きであった。
 自分の想像からでも、実際のプレイ体験からでも充分に理解できたからである。

 だが、M男となるとまるで話が違う。 
 快感の源となる部分が、どうしても感覚として理解できなかったからだ。
 
「それは、体験しなくちゃ」
 と言われたがいくら書くためとは言え、未だそのての体験はない。
 せいぜい、それも新しい鞭の出来を確かめる時に、お尻を少し叩いてもらったくらいだ。
 
 ところが、某SMバーで聞いた夫婦ともM、しかも結婚してからお互いのその性癖を知ったという夫婦の話に、俄然興味がわき短編にしてみた。
 それが、「SSMM」(互いにMと発覚した夫婦が選んだ道とは・・・、ロリ・SM・変態短編小説集「御神体拝受」に収録)である。

 これをきっかけにM男の作品がいくつか生まれた。
 それがM男調教短編小説集「逆輪姦奴隷」で、
 その中には表題の「逆輪姦奴隷」(細いカテーテルが拘束ベッドに固定されている若い男の性器に潜り込んでいた・・・)
 「変態夫婦の秘訣」(メイド服の胸の膨らみに黒いピンヒールが食い込んでいた・・・)
 「私のアドニス」(首輪としっぽ以外全裸の若い男の体に夫人達の視線が集まっていた・・・ )
を収録した。

 今日では、M男性の話も積極的に聞くようにしている。
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