SMには文字通り必ず、SとMの存在があるのだから、一人で行うオナニーが存在するはずがないと思われるかもしれない。
 だが、
  ・Sにとってパートナーが見つからない場合や願望のプレイが叶えられない場合
  ・実際のプレイの不安を抑えられないMの場合
 
等むしろかなり多く存在するのではないだろうか。
 
 私のSMオナニー構想は、
 「腸内洗浄」 
が話題になった時のことである。
 
 当時のあるパートナー女性が告白したのだが、私から浣腸プレイの洗礼を受けて以来、「腸内洗浄」が気になりだし、実際に始めたというのだ。
 しかも当初は、身体の解毒(デトックス)効果をねらったらしいのだが、次第に洗浄されること自体に快感を見出したという。  
 「洗浄オナニー」(半透明な管を流れてきた液体は、その管の先が入っている肉穴の中へ吸い込まれるように入っていった・・・、SMアナル浣腸小説集「SMのご用は台所で」に収録)

 また、SM情報サイトMドリームへの相談というか、告白というか、匿名の女性からのメールによれば、
「*伊藤晴雨の画集を見て以来、もう、自分が抑えられないのです。でも、(貴方を含めて)実際に男性にあってして欲しいなどとは言えません・・・」のだそうだ。
 私としては、
「どうしても実際のプレイへの勇気が出せないと言うなら、メール調教はいかがですか」
と答え、それからメールでのやりとりが始まった。
自虐SM」(SM・W&M小説集「 自虐SM)は、そんな彼女の体験談を元に書き上げた。
(それは長襦袢が捲れ、肌も露な女性が無残に縛り上げられた図だった。思わず麗子はそれを閉じると本棚に戻そうとしたが、まるで自分の意思とは無関係に、その雑誌を手にしてしまっていた・・・)

 *伊藤晴雨(いとう せいう) 
 1882年(明治15年)3月3日 - 1961年(昭和36年)1月28日
 画家。本名は伊藤一。
 出身は東京市浅草区。幼い頃から絵が得意であったため8歳で琳派の絵師に弟子入りする。
 9歳の段階で芝居の折檻シーンや女の髪の臭いに執着する性癖が発現している。
 父が彫金師だったために12歳で象牙彫刻師のもとへ丁稚奉公する。
 23歳で絵描きになるべく彫刻師修行を辞め京都へ移り、様々な職業を転々とするが身体を壊し東京に戻る。
 25歳から新聞社に勤め挿絵や評論を書く。
 27歳で包茎手術を行ない一度目の結婚をする。
 包茎だったため28歳まで童貞だったが本物の女を知って落胆するなど、性に対する憧れが先行するタイプだった。
 この頃挿絵画家としての地位が固まり、多くの執筆依頼が寄せられるも収入のほとんどは遊びに費やしていた。
 34歳でお葉をモデルに責め絵を描く。
 37歳で最初の妻と離婚、二人目の妻をめとる。この女性は晴雨の責め絵のモデルにもなっており、妊娠中に吊り責めを受けるなどしていた。
 だが、13歳若いこの女性は後に浮気をして晴雨のもとを去る。
 その後関東大震災により財産を失った晴雨は精力的に江戸の風俗を書き記し、『いろは引・江戸と東京風俗野史』を著した。
 また責めも興味の赴くままに行なうのではなく、様々な考証のもと行なうようになっている。
 1928年(昭和3年)に発行した『責の研究』は発禁処分となったが、当時の名著とされる。
 晴雨が49歳の頃に三人目の妻が精神を病み闘病、借金に追われるようになる。
 1945年(昭和20年)の東京大空襲で家財一切を焼失、戦後はほとんど出版活動は行なわなくなった。
 1960年(昭和35年)、挿絵画家としての長年の功績に対し出版美術連盟賞を受賞、翌年に死去している。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 目の前に実際のパートナーがいなくてもメール調教であれば擬似プレイができ、結果としてSMでもオナニーができるという見本である。